2024年秋ドラマ「海に眠るダイヤモンド」の主題歌はKing Gnuが歌う「ねっこ」。ドラマは、1950年代と現代のシーンが交互に行きかう内容になっているため、その主題歌も”時の流れ”が一つのテーマになっているように思う。誰もが普段は注目しないであろう植物の根の部分にスポットを当てた「ねっこ」には、どのような思いが込められているのだろう。
King Gnu「ねっこ」を聴いて感じたこと
歌のテーマ
歌のテーマには次のようなものが挙げられる。
- 時の流れ
- 平凡でも何事にもくじけない強さを持ちたい
- 大切な人さえいればいい
「穏やかだが芯が強い」「外柔内剛」といったイメージが思い浮かぶ。ぱっと見れば目立たないかもしれない。だが、ちょっとやそっとのことでは折れない強さを持っている。そんな内面の強さを、植物の”根”の部分に例えて歌っているようだ。
花を見るとき、誰もが美しく咲く花弁に注目して見ているだろう。根の部分に目を向ける人は少ない。だが、根は栄養分を吸収し、花が折れないように支える役割を担っている。根は花の命を保つ最も重要な部位なのだ。
根っこのようにたとえ多くの人に気付かれなくても、大切な人にさえ自分のことを分かってくれているのならそれでいい。そんな、控えめでも内に秘めた強さを持つ人物像が歌からイメージできた。
根っこといえば、大樹の根は太くたくましいものが思い浮かぶ。日本には樹齢7000年を超えるような”ご長寿”の木もあるらしい。何千年という人の歴史を見守ってきた大樹。たくましい生命力を感じる木の根には、「時を超えて人と人を結び付ける」というドラマのテーマにも通ずる部分がある。
人々はときに平凡さを恨む
飾らない花でいい
華やかでなくていい
King Gnu「ねっこ」(作詞作曲:常田大希/2024)
この世の大多数の人が平凡に生きている。地道にコツコツと仕事をし、裕福ではなくとも平穏な暮らしをしている人が多い。そのような暮らしは平和だが、ときには変わり映えしない日々に退屈してしまうこともあるだろう。刺激が欲しくなったり、豪華絢爛な暮らしに憧れを抱くようになったりするかもしれない。
この世は平等ではない。貧富の差や才能の有無、容姿の良し悪しなど。人間には生まれつき様々な格差が存在する。そんな中で、なるべく多くの人に認められたいと人は願う。たくさんの人に自分の良さを分かってもらいたい。だから、他の人よりも立派な職に就いて地位や名声を得ようとする。ネット上で自分の意見を述べたり、SNSで自分のことを発信したりして多くの賛同を得ようとする。”承認欲求”は誰しもに備わっているものだから、このような行動は至って自然なことだ。
実際には、大きな名誉を手にすることができるのはたった一部の人たちだけだ。だから、ほんの一握りの”特別な人”に憧れたり羨んだりし、さらには嫉妬心を抱くこともある。このような人たちには自分が持ち合わせているものからして遠く及ばないのだ、と自分のことを卑下してしまう。
本当に望むものは
ただあなたにとって 価値があればいい
King Gnu「ねっこ」(作詞作曲:常田大希/2024)
けれども私は、そんな風に嘆く必要はないと思う。どんな人にも何かしらの才能はあり、その人自身の思考や感情と運やタイミングが重なって才能は開花する、というのが私の考えだ。また、人が本当に欲しているのは多くの人からの賞賛よりも、大切な人に自分を分かってもらうことではないだろうか。たとえ名声を得られても、身近に自分のことを心から思ってくれる人がいなければ空虚感に苛まれるだろう。反対に、誰からも注目を浴びることがなくても、一人でも自分のことを理解してくれる人がいればそれだけで救われるはずだ。
身近にいる大切な人というのは、案外見逃してしまいがちだ。いつも一緒に過ごしていると、存在が当たり前になりすぎてそのありがたさに気付けないことも多い。人と自分を比べて辛くなるようなときには、身の回りにいる自分のことを思ってくれている人に意識を向けてみるのもいいのかもしれない。
幸せはありふれた日常の中にある
大きなことを成し遂げなくとも、毎日を精一杯生きているのならば、あなたは十分に立派なことを成し遂げている。たくさんの人に認められたいと人は願うけれど、あなたを分かってくれる人が一人でもいれば幸せなのだ。歌からはそんなメッセージが聞こえてくる気がする。嵐が来ても植物を支え続ける根っこのように、苦難に負けない強さを持っていたいという思いも感じられた。
人はときにありふれた日常に退屈し、身近にある小さな幸せを見落としてしまいがちになる。ネット上の人との触れ合いは広がっていく一方で、現実世界における人との繋がりは希薄になったといわれる現代社会。ドラマにも描かれている古き良き時代の日本のような身近な人との支え合いは、現代を生きる人々の支えになるのかもしれない。