私の経歴を見たとき、大半を占めている業種がある。
それは、接客業。
実は私、自分で言うのも何だがまあまあのネクラでコミュ障。それなのに、高いコミュニケーションスキルを有する「接客業」を約5年間勤めてきた。
もし昔のクラスメイトが聞けばびっくりするだろうと思う。それくらい私という人間と接客業は結びつかない。他人を前にして頭が真っ白、蚊の鳴くようなか細い声しか出せない。そんな私が接客業をしてみたら、多くの方が予想する通り、散々に打ちのめされる結果になってしまった。
だが、悪いことばかりでもなかった。これは、人と目も合わせられないようなコミュ障の私が接客業界で戦い抜いた記録。
私の接客キャリア
そもそもなぜ人と話すのが苦手な私が接客業を始めたのか。
はじめは荒療治のつもりだった。接客を経験すれば、私のネクラコミュ障という性質が治るかもしれない。たくさんのお客様と接しているうちに少しはコミュ力も上がるだろう、という単純な考えが当時の私にはあった。苦手分野にみずから飛び込んで行けたのは、ときには思い切る必要があると常日頃から思っていたのが大きい。
人と会話ができないのに接客バイトなんて務まったのか、と疑問に思う人もいるかもしれない。実は接客にはマニュアルがある。それはつまり、お客様に向けていう言葉や動きも大まかに決められているということ。
「いらっしゃいませ」
「○○円のお買い上げでございます」
「ありがとうございました」
意外だったのが、もともと決められている言葉だったら、難なく言えるということだった。セリフのように言ってしまえば緊張することなく対応することができた。
マニュアルを覚えて仕事ができるようになると少しは自信がついてきた。問題は、後から出てくることになるのだが…
コミュ力は少し向上
いくらマニュアル通りにやっているだけとはいえ、毎日のようにお客様の対応を繰り返していると私の壊滅的なコミュ力も少しはマシになってきた。
改善できたことはまず、他人を前にして緊張することが減ったということ。以前の私だと人と会話するたびド緊張だったのが、少しはリラックスできるようになっていた。
次に、アイコンタクトがちょっとだけできるようになったこと。本当は今でも苦手で、未だにたどたどしさは消えてないと思うのだけれど、始めよりは格段に苦手意識が消えた。
そして、話を聞く姿勢が作れるようになったこと。それまでは会話をするとき、「何か話さなきゃ!!」と焦って相手の話を聞くということに意識が向いていなかった。それが意外と、うなずきながら話を聞くだけでも会話が成り立つこともあってびっくりした。いわゆる”聞き上手”を目指して、相手の話を聞く姿勢というのを意識できるようになっていった。
私のつまずき
前の私に比べれば、確かに良くなっている。だが、接客するうえでかなり大切なことがある。
それは、臨機応変な対応だ。
仕事に慣れてくると、お客様と接する機会はぐんと増えてきた。お客様って、本当にいろいろな人がいる。様々な年代の方や、いろいろな感情の人々、いろいろな悩みを持った人がお店にやってくる。
例えば、お年寄りだったら、大きな声でゆっくりと。急いでいてイライラしている人には、素早い対応を。お客様によっては、商品の場所やポイントカードについて聞かれたり、ということもある。
イレギュラーなことが起こることもある、ということだ。さっき接客はマニュアルがあるから大丈夫みたいなことを言ったけど、実はもっと奥深いものだった。ここに、私が接客においてつまずいた原因がある。
基本的な接客対応なら、こなすことができていた私。しかし、それ以上のことを求められると、極端にできなくなってしまうのだ。
もっとも苦労したのは、質問されたときふさわしい答えをパパッと言うこと。これはいくらやっても難しかった。
私は、とにかく説明がドヘタなのだ。予想外なことを聞かれると、脳がフリーズしてしまう。知っていることを聞かれたとしても、それを上手くまとめて説明することができない。
落ち着いていればできることだ。だが、質問をうけるたびに、怖いという気持ちが先行してしまって、どうにも冷静ではいられなくなるのだ。
特に、お年寄りの対応には苦労した。私の声はもともと、とてつもなく小さい。いくらバイトで少しはマシになったとはいえ、お年寄りのお客様に聞こえやすく話すことは、私にとっては至難の業だ。
聞かれるたびに言葉に詰まっては、相手を困らせてしまうことが多くなった。失敗をしてお客様から冷ややかな言葉を投げかけられてしまう、なんてことも出てきた。
どうして私はこんなこともできないんだろう
徐々に自分を責めることが多くなってく。失敗した経験は、私の自尊心をどんどん傷つけていった。
仕事がつらくなっていった
自己肯定感は低くなり、お客様と接することへの恐怖は増していく。私は少しずつ、仕事をすることが苦しくなっていった。
さぞかしひどい店員だったはずだ。マトモなサービスができてなかっただろう。今思えば、デフォルト化してしまっているか細い声と、他人の前で固まる思考は、接客業において欠陥以外の何物でもない。
さらにつらいことに、お店には変な人やガラが悪い人とかも来る。こういった人たちを相手にするのも神経がすり減るような思いだった。
今思い出しても、明らかに向いていないのによく続いたなと思う。
私がやめたおかげで多くのお客様がイライラせずに済んだと思えば、これで良かったんだ。私はたくさんの人のストレスの芽を摘んだ。人のためになることをし、世界平和に貢献したんだと信じよう。
越えられない壁
仕事を辞めて、私はコミュニケーションが苦手だったんだという当たり前の事実に気付いた。(今更すぎる…)
かつて、家族から「その仕事向いてないんじゃない?」と言われたことがあった。その時は「私だってやればできる」と言い返したけれど、今やっと家族の方が正しかったことに気付く。
職場でもお客様にも、同じこと思われていたに違いない。周りから見れば、向いてないことにしがみついている、痛いヤツだったのかもしれない。
苦手なことに挑戦すること自体は良いことだ。実際、仕事をする前と比べてコミュニケーションへの苦手意識が格段に小さくなった。そのおかげで生きることが少しばかりラクになった。
だが、限界はある。向いていないことをやり続けるのは、私の心にとって大きなストレスだった。私にとって接客業は越えられない壁だったというだけだ。他人の目が見れるようになったことだけは、接客キャリアがもたらしてくれた産物なのかもしれない。その点においては感謝しておこう。
関連記事:コミュ障は接客をすれば治るのか、という疑問について思うこと。もどうぞ。