80年代を代表するアイドル斉藤由貴の、知る人ぞ知るアルバム「LOVE」。1991年に発売されたアルバムだ。
斉藤由貴といえば、女優ならではの繊細かつ感情の乗った歌声が特徴的だが、作詞においても活躍している。「LOVE」では全作詞を斉藤由貴自身が手掛けており、彼女の細かな心情表現や素直な言葉選びが光るアルバムだ。
そんなアルバムの一番最後に、「意味」という曲が収録されている。アルバムの締めとなるこの歌には、斉藤由貴自身の深い思いが込められているように感じる。
「意味」大切な人との出会い、そして別れを真っ直ぐな声で歌い上げた曲だ。歌詞を深読みしていくうちに、もしかしたらこの曲のテーマは単なる別れではなく、”大切な人との死別”なのではないかと私は思うようになった。そう思った理由をこれから説明していこう。
「意味」を聴いて感じたこと
歌のテーマ
歌のテーマとしては、次のようなものがあると思う。
- 出会いと別れ
- 大切な人への思い
- 死別
- 人はどうして生きて死ぬのか
- 私の存在とは
歌詞の中で一度も、「あなた」や「君」といった二人称が使われていないにも関わらず、曲の中で「私」が誰かと出会いその後別れるという経緯が私には見えた。
そしてその人は、「私」にとってかけがえのない人だったのだろう。
言葉をこえて 私を今 魂が揺さぶる
どうしてひとり これまで生きてこれたのだろう
出典:斉藤由貴「意味」(作詞:斉藤由貴・作曲:崎谷健次郎/1991)
1番では、「私」にとってかけがえのない人との出会いが描かれる。
よくも今まで孤独でいられたものだと思うくらい、「私」にとってその出会いは衝撃的だった。大切な人と一緒にいられる幸せや喜びを噛みしめるように1番は幕を閉じる。
1番から2番への変化
2番の始まりは、夕暮れ時の街を一人で歩く「私」の場面にスポットが当たる。喜びに満ちた1番とは一変し、急に暗い雰囲気が立ち込める2番。
何かを捜しだす
出典:斉藤由貴「意味」(作詞:斉藤由貴・作曲:崎谷健次郎/1991)
「私」は何か大切なものを失ってしまったのだろう。「さがす」には二通りの漢字が当てはめられるが、ここでは「捜す」となっている。
一般に、見えなくなったものの場合は「捜」、欲しいものの場合は「探」と使い分けるが、混用されることも多い。
出典:明鏡国語辞典
「捜」と「探」を日常生活で使い分けることは少ないかもしれないが、ここでは意図的に「捜」の方を選んだのではないだろうか。そうすることで、見えなくなったもの、つまり失ってしまったものを捜すという意味になるのだ。
1番と2番ではメロディーが同じでも、全く雰囲気の違う世界が表現されている。
大切な人との別れ
大切な人と出会えたはずの「私」が、どうして孤独になってしまったのだろうか。2番サビに注目してほしい。
孤独の意味を教えて 命の意味を教えて
どうしてひとり これから生きてゆけるだろう
出典:斉藤由貴「意味」(作詞:斉藤由貴・作曲:崎谷健次郎/1991)
そして、2番が終わったあとのこの部分。
時が過ぎやがて老いて 死を迎えたあとも
変わらずに 永遠は 世界を見つめる
出典:斉藤由貴「意味」(作詞:斉藤由貴・作曲:崎谷健次郎/1991)
そのまま読むと意味が分かりづらいが、
「たとえ一人の人間がこの世からいなくなろうとも世界は何も変わらずに動き続ける」というように解釈した。
命や死を連想させるこれらの歌詞から、「私」が大切な人と”死別”してしまったのではないかと考える。
悲しみを乗り越えて
この先あなたなしで生きていけるかどうか分からない、と思い悩むほど「私」は悲しみに暮れる。しかし、クライマックスで曲は転調、「私」の大きな心境の変化が訪れる。
深く息止め 膝をつき 強く踏み出し駆け出せ
駆け抜けて行け 激しく自分を抱きしめて
出典:斉藤由貴「意味」(作詞:斉藤由貴・作曲:崎谷健次郎/1991)
暗く沈んだ気持ちを切り替えようと、深く息を吸い込む「私」。大切な人を失った悲しみを乗り越えようとしているのだ。今生きている自分を大切にして、今このときを生きていく必要があると気付いたからだ。
誰だっていつかは老いて死ぬし、死後も世界は無情にも回り続けるのだということが、「私」の中には深く刻まれていた。自分の番もいつか必ずやってくるのだということも。「私」は、良い意味での”諦めの境地”に至ったのかもしれない。仏教において「諦める」という言葉は、前向きな意味として用いられる。
諦めるの「諦」とは真理を意味する言葉です。
つまり諦める、とはギブアップではなく、明らかに観る事、現実をありのまま観察する事を意味します。大切な仕事、人生の岐路になるような決断の時こそ「諦める」ことが肝心です。
出典:諦|じつは身近な仏教用語|仏教の教え|日蓮宗ポータルサイト
この世の無常さを自覚し、生への執着を手放せた「私」は、一度限りの人生を自分のために生きようと決意した。曲を締めくくる最後の「自分を抱きしめて」からは、今は孤独で自分に縋るしかない気持ちと、自分を大切にしながらこれからの人生を生きていこうという強い意志との両方が感じとれた。
失った悲しみを乗り越える曲
生きていれば様々な出会いがあり、その分別れもある。大切な人と別れるときには心に穴が開くような悲しみを覚え、ときにはどうして生きているのかすら分からなくなることもあるだろう。
歌の中では何度も、「教えて」「どうして」と問いかける歌詞が出てくるが、それは神様や世界に対してなのだろうか。それとも自分に対してだろうか。人を思う気持ちも、生きていることにも、本当は”意味”なんてないのかもしれない…