ニート生活を楽しむ私が、物思いにふけったときのこと。
◇◇◇
私は今休んでいる。
人生で休むことのできる時間はどれくらいあるだろう。
休日という意味ではない。
何の立場もなく、何の責任もなく
どこかに属していない
ただの”私”としていられる時間のこと。
少し前に仕事を辞め、「やるべきこと」もなく
のびのびと暮らしている。
思えば今まで休むことは許されなかった。
幼稚園に入ってから今まで。
約20年間、私は一度も休まなかった。
先も言った通り、休日という意味ではない。
何度も熱を出して休んだり、怠けて休んだりしたけれど、
常に私は、幼稚園生、小学生、中学生、高校生、大学生、被雇用者であった。
常に社会的立場を有していた。
そして役職を降りることは許されなかった。
ただの”私”に戻ることができたのは、今が初めてかもしれない。
大学在学中に休学した時も、大学を辞めた時も、仕事をしていた。
その頃は何でもない”私”になることが怖かった。
だから仕事をした。
社会で役割のある私でいたかった。
その努力は正しかったのか。
得られたものは大きい。
忍耐力、社交性。
正しい能力を身に付けたことに違いはないだろう。
だけど今、こうして職を失い、
社会にとって必要でも何でもない”私”になった。
役職を降りることを許さなかったのはいったい誰?
約20年役を全うした結果は大失敗だった。
流れるようには上手くいかない人生だ。
人生には通常、”休憩”というものはない。
皆常に何者かであろうとするから。
何もかもを手放すなんて馬鹿なこと、普通の人はしない。
積み重ねてきたものを自らの手で壊すなんて。
壊すことでしか、自分を救えない私。
全てを捨ててもいいから、ただただ休みたかった。
ただただ何でもない日を、何でもない”私”として休みたかっただけ。
人生の休憩を終えた先には、
いったいどんな役割が与えられているのだろうか。