その影響力の大きさから、今や人々にとって無くてはならない存在となったSNS。日々発信される情報の中には、有益なものもあれば、劣悪なものもある。何か面白いものを見ようとして、ついつい悪いコメントも目にしてしまうというのは、誰にでもある経験なのではないだろうか。
私自身はX(旧Twitter)のアカウントを持っているが、基本的に見ることのみに使っている。趣味に関する情報収集や、トレンドをチェックするのに便利なので使用しているのだが、毎回のように、悪いコメントを目にする。
そんな時はショックを受けて、「見なかったことにしよう」と安全なページに避難する。しかし先ほどの衝撃がなかなか頭から離れない。何とかやり過ごして忘却に成功することもあるが、あろうことか深堀りしてしまうときがあるのだ。というか忘れられないことの方が多いのだが、
「コメント主はどんな野郎だ~」「他にもこんなことを考えやがる輩がいるのか~」
といった感じで、ついつい調査を始めてしまう。その結果、言うまでもなくしょんぼりする。
ここで言う”悪いコメント”というのは、「自分にとっては胸糞が悪く嫌な気分になるもの」とする。人によっては喜ばしい内容であったり、実際に正しい情報であったりすることもあるだろう。
「嫌なら見るな」という言葉の通り、見ないのが一番楽な方法だ。それは頭では分かっている。見なければ落ち込むことも無いのである。
だが実際は、悪いコメントについつい目を止め、その上探求してしまうことさえあるのだ。これは一体全体どういうことだろう。
怖いもの見たさ
まず、怖いもの見たさという人間の性質によるものではないかと考える。怖い思いをするにも関わらず、心霊写真とかホラー映画に興味をそそられるというやつだ。嫌な思いをすると分かってて、Xの嫌な投稿を見てしまうというのも、これに似ているのではないか。
この”怖いもの見たさ”に関してなるほどと思える解説があった。「なぜ人は怖い話を聞きたくなるのか」という質問に対し、脳科学者による分かりやすい解説が展開されている。
対象物が何かわからないままだと「不安」な気持ちはずっと残り、私たちの脳は落ち着かなくなります。不安で落ち着かない状態を解消するには、それが何なのか、嫌でもしっかりと見たり聞いたり触れたりして、実体を明らかにし、理解する必要があります。それが「怖いもの見たさ」という行動につながるのです。
出典https://allabout.co.jp/gm/gc/498778/#google_vignette
心霊写真を例としたら、怖い怖いと震えながらも、写っているものをじっくり観察してしまうなんてことは、よくあることだ。人間の脳は、それが一体何なのか分からない状態の方がストレスがかかってしまうということだろうか。
Xで嫌な投稿を見てしまった時にも、それについて調べて理解を深めることで、不安を解消しようとしているのかもしれない。確かに、その投稿について何も追求せず自分の中でほったらかしな時は、何とも言えずモヤモヤとした気分になる。
もしかしたら、無視したり無理に忘れようとしたりするよりも、真っ向から探求していった方が、脳としてはスッキリして良いのかもしれない。
好きと嫌いは表裏一体
次に、嫌なものだからこそ興味を惹かれてしまうという性質が関係しているのではないかと考える。「好きと嫌いは表裏一体」という言葉は、よく耳にするのではないだろうか。恋愛ドラマなんかでもよく、
「最初は嫌いだったムカつくアイツが、なぜか気になってしょうがない!これは…恋!?」
というような展開がある。これは、”好き”や”嫌い”といった強い感情を覚えるものが、人間の好奇心を刺激するということではないだろうか。
逆に、好きでも嫌いでもないものについては無関心である。嫌いな人物や作品などについて批判を繰り返すいわゆる”アンチ”と呼ばれる人たちがいるが、嫌いなものに対する興味があるからこその行動と言える。好きでも嫌いでもないものより、むしろ嫌いなものの方が人間の興味はそそられてしまうようだ。
まとめ
SNSで嫌な投稿をついつい見てしまう、という現象について考察してみた。
嫌なものは見ないのが普通だ、と考えてしまいがちなところ、人間の深層心理から見ればそうはいかないことが分かった。とは言え、嫌なものに取りつかれてしまっては充実した生活は送れない。嫌なコメントを見るのは程々にし、SNSとはうまく付き合っていく必要があるだろう。SNSが生活の一部と化している世の中で、それは難しいことだと改めて感じた。